本当に久しぶりの更新となってしまいました!
ほとんど放置状態だったのですが、本日から再開いたします。
当店では枇杷の葉や種を使った商品を主に扱っているのですが、
枇杷はもともと、何処で?いつから?使われていたのか?についてです。
まず「枇杷びわ」という名前ですが、楽器の「琵琶」に形が似ている為、「びわ」と呼ばれるようになったそうです!確かに葉の形も実の形も、どちらもなんとなく琵琶に似ていますね。
原産地は中国南部やインドで、やはり暖かい所です。
インドではなんと3千年以上も前の経典「涅槃経」に
「びわの葉や枝、茎、根には大きな薬効がある」と記載されています。
そしてびわの木は「大薬王樹」、びわ葉の事を「無憂扇」と呼んでいました。
なんともすごい呼び名だと思いませんか?
「大薬王樹」 → 大きな薬の王の樹
「無憂扇」 → 憂いの無い扇(葉)
いやあ、そのまんまなんですけどね(笑)
当時のインドは古代文明が栄え、麻酔を使った手術をするくらいに医学も発達していました。
もちろんいろいろな植物や鉱物の生薬も使われていましたが、その中でも枇杷は大変重宝されていたようです。
また中国ではびわ葉を「枇杷葉(びわよう)」と呼び、漢方薬に配合したりして使用していました。
「枇杷葉(びわよう)」を配合した漢方薬には辛夷清肺湯、枇杷葉散、枇杷葉膏、などがあるそうです。
明(16世紀末)の時代には「本草網目(ほんそうこうもく)」という書物に
「胃腸や呼吸器を整え、お肌や足などのしびれにも良い」と書かれています。
さて、肝心の日本ですが、びわの木が入ってきたのは弥生時代と推測されています。
主に九州や四国で自生し、奈良時代には仏教医学のひとつとして広められました。
仏教医学の為、お坊さんたちがびわを使ったお手当を行い、その頃の多くのお寺には
ビワの木が植えられていました。
光明皇后は730年に病気で苦しむ人々を救済する「施療院」を作り、そこでもびわの葉を使った
お手当が行われていました。
この頃は、びわの葉をあぶり、熱いうちに患部に当て摩擦するというやり方だったようです。
びわの葉の手当は全国的に広がり、江戸時代にはびわ葉に甘草、桂枝などをブレンドした
「枇杷葉湯(びわようとう)」という飲み薬が売り出され、京都や江戸で大人気となりました。
これは夏バテ、日射病、軽い食あたりを予防するものとして重宝されていたようです。
またびわ葉を煎じた薬や入浴剤も売られていました。
ちなみに枇杷の木を植えると病人が出る、というのは迷信で、
お寺などで人々を癒す為に植えられていた、というのが本当の所のようです。
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- 2013/05/14(火) 18:20:17|
- 枇杷(びわ)|
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